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貨幣鋳造センター「銀座」
美しいかどうかはわからないが、貨幣こそ、ある者にとっては最高のジュエリーではあるまいか。貨幣はオアシといわれるように、すぐに手元から逃げ出してしまう。
1600年の関ヶ原の戦いのあと、すぐに徳川家康は江戸に幕府を開いた。そして、まず手を付けたのが、現在の銀座から京橋にかけて、京都の街並みをまねて、碁盤の目のような街を築いた。


その一角に「銀の貨幣鋳造所」を建てた。それが「銀座」の起こりである。 徳川幕府は「金」より「銀」をめでた。いや当時の日本人(武士)の美学は 「いぶし銀」 のほうが、キンキラキンの金よりも美学にかなうものだった。





飛躍した話になるが、日本人はプラチナが大好きで、人気がある。昔からの価値観がいまでも通用しているのかもしれない。 そういえば、クレジットカードや入場券などでも、グレイドは ゴールドカードより、プラチナカード、プラチナチケットのほうが上だ。もちろん、ときにはダイヤモンドカードのほうが上位である場合がある。だから、銀やプラチナが最強とばかりはいえない。 しかし、江戸の武士や町人にとっては「銀コイ」で、金が上位の上方は、江戸からみれば、好みは「下品」とされた。 明治維新期にもこの日本人の銀≒金の美学は、交換レートにおいて金に不利で、大局的にみれば金銀交換時に大損をしたこともある。寿司屋でも「すし銀」というのはあるが「すし金」とは稀なことだろう。 戦国時代には日本の各所で金山・銀山が開発されて、歴史上、もっとも多くの金銀財宝を生み出した時代であった。銀の最大産出鉱山は「石見銀山」である。その石見銀山に近い、奥出雲地方では、 良質の砂鉄から「たたら製鉄」で大量の鋼のもと(粗鋼)が生産された。宮崎駿『もののけ姫』の舞台になった場所の一つとして想起される。その鋼から大量の武器が製造された。「たたら製鉄」には大量の木材が必要だった。山は禿山となる。 現在の高炉による本格的な製鉄は、1901年の官制八幡製鉄所からで、鉄の時代の始まりによって、鍛冶屋は鍛造技術を駆使した加工工場にとってかわられた。



「銀座」は日本では4位の中央商店街数
さて、ロマン漂う江戸時代、銀座の話に話題をもどす。 銀座とは、金座ではなく、いかにも徳川幕府らしい「造幣局」であった。



その銀座は、その後、その町の中心通りの名前に利用されるようになった。江戸時代の銀座のあった場所は、現在、東京都中央区銀座あるいは銀座通りとして全国的にも世界的にも有名で、文字通り、中心街の別称ともなっている。 その銀座通りの1丁目から8丁目までには、世界の有名宝飾店が軒を連ねている。世界の中心商店街(中央通り)にも煌びやかな世界ブランドが店を出している。 日本のメイン商店街の名前だが、多い順に並べると「中央通り商店街」「駅前商店街」「本町商店街」となり4位に「銀座」が来ている。ここで面白いのは、「金座商店街」「銅座商店街」は僅少であることだ。オリンピックやサッカーW杯で選手が目指すのは、銀でなく金だ。なでしこジャパンのヒロインたちが、金メダルをもらって渋い顔をしていたら、徳川家康は喜ぶかもしれないが、現代の日本人はすっかり江戸離れしている。

真珠も絹もその命は光沢にあり いまでは各種の色があるが、真珠にもその国民のこだわりを見て取ることができる。御木本幸吉翁のアコヤ養殖真珠の光も、その取引は神戸の光を基準に取引されている。 日本の単位である匁(モンメ)は、真珠の取引に国際的に使われている単位である。 微妙な光に左右される絹の産業でも、絹の撚糸工場などの屋根の上の明り取り用の窓は、大きなのこぎり刃のような形をしている。強い光を避けるためにみな北を向いている。 だから、群馬県桐生市の絹の工場の産業遺跡の窓をみて、誰でもが北の方角がわかる。 さて、銀座に関係する言葉で関係するのが「鍛冶」だ。鍛冶はガンジーに由来するという説があるが、銀座と並んで、日本には多くの「鍛冶町」が現在でも存在している。鍛冶を商売にしている専門家を「鍛冶屋」というが、みな鍛造技術のプロフェッショナルだ。 鍛冶屋といえば、日本の各所に存在し、刃物を鍛え、農機具を造り、いまでも農業、工業の発展に寄与している。鍛冶屋の住んでいる場所は銀座のような華やかなところではないが、「いぶし銀」のような 仕事がこつこつと続けられている場所が日本全国にみられることは喜ばしい。





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